マテリアルズインフォマティクス・材料
拡散とは、原子がランダムウォークで少しずつ混ざる現象
目次
原子に運動の法則を当ててコンピュータで時間を進める分子動力学(MD)では、結晶が融ける様子まで覗ける。 今回は、もうひとつの基本現象である拡散を覗く。色で見分けた原子が、どうやって混ざり合うのか。
地味に聞こえるが、拡散はものづくりの裏方の主役だ。半導体に不純物をしみ込ませる(ドーピング)、鉄の表面を硬くする、積層セラミックコンデンサ(MLCC)のようにセラミックを焼き固める(焼結)。これらの工程はどれも、原子が別の物質の中へ少しずつ移っていくことで成り立っている。
実際に混ぜてみた
下は、実際に走らせたシミュレーションだ。左半分に青い原子、右半分にオレンジの原子を並べ、温度を上げて(原子が動ける状態にして)放っておく。
256原子・2D・レナード–ジョーンズ模型/実コードで生成(固定シードで決定論的)。
最初、青とオレンジはくっきり分かれている。時間が経つと、境界のあたりから原子が互いの陣地に入り込み、境界がぼやけて混ざっていく。誰かが「混ぜろ」と指揮しているわけではない。各原子がただランダムに動き回るうちに、結果として混ざる。これが拡散だ。
でも、よく見ると拡散は「遅い」
ここが面白い。何千ステップも回したのに、完全には混ざりきっていない。青はまだ左寄り、オレンジはまだ右寄りだ。
これは失敗ではなく、拡散の本質だ。原子は目的地へまっすぐ進むのではなく、酔っぱらいの千鳥足(ランダムウォーク)で動く。右に一歩、左に一歩、行ったり来たり。この「進む距離が時間の平方根に比例する」という関係を、原子の運動そのものから理論的に導いたのが、1905年のアインシュタインのブラウン運動の理論だ。アインシュタインは、速度ではなく変位の二乗の平均を見るべき量だと見抜き、それを拡散係数と時間に結びつけた。これが原子の動きから拡散係数を測る土台になった(ほぼ同時期に独立に到達したスモルコフスキーと合わせて、アインシュタイン–スモルコフスキーの関係と呼ばれる)1。だから、
進む距離は、時間に比例しない。時間の“平方根”に比例する。
つまり、2倍遠くまで混ぜたければ、4倍の時間がかかる。10倍なら100倍。拡散がもどかしいほど遅いのは、このためだ。鉄の熱処理に何時間もかかるのも、半導体のドーピングを精密に時間管理するのも、この“千鳥足の遅さ”と付き合っているからだ。
温度というつまみ
ではどう加速するか。温度だ。 温度とは、原子の動きの激しさである。熱いほど原子は活発に動き回り、拡散は劇的に速くなる(温度の逆数に対して指数関数的なので、温度を上げると桁で跳ね上がる)。この指数則をアレニウス則と呼ぶ。固体中の拡散がアレニウス則に従うことは、金属の自己拡散などの実測を通じて確立した標準的な知見だ2。同じ出典は、アレニウスプロットが通常は直線になる一方で、小さなずれが観測されることもあり、それは微細組織や内因による、とも述べている。なお、固体ではなく塩水に溶けた水素の拡散を調べた研究では、高温かつ圧力の影響が強い領域で単純なアレニウス式から外れることが報告されている。これは別の系での結果で、固体中の拡散にそのままあてはまる話ではない3。 これは言葉だけだとピンと来ないので、同じ初期配置のまま温度だけを変えて、3つ同時に走らせてみた。
初期配置は3つとも同一・256原子・2D・レナード–ジョーンズ模型・数密度 0.83(格子間隔 1.10 の正方格子から出発)/実コードで生成(固定シードで決定論的)。cold / warm / hot = T 0.3 / 1.05 / 2.3(図中の表示は四捨五入で T=1.1)。最終的な混ざり具合は 約5% / 17% / 38% と実測。ただし初速の乱数種は温度ごとに別で、値そのものは種と走らせた長さに敏感だ。本稿1枚目の GIF は同じ中温 T=1.05 を別の種で4000ステップ走らせて約26%であり、ここでの17%とは9ポイント離れている。読むべきは値そのものではなく、三者の順序である。
だから職人もエンジニアも、「どの温度で、どれだけの時間」を効かせて、しみ込ませる深さを操る。焼結、熱処理、ドーピングのどれも、本質は「温度 × 時間」のレシピだ。
いつもの正直な注意
このシミュレーションにも、いつもの但し書きがつく。原子どうしの力のモデルが現実とずれていれば、出てくる拡散の速さも現実とずれる。 きれいに動いて見えても、それが示すのは「入れた物理」の帰結だけである。参考までに、本稿で使ったレナード–ジョーンズ模型のような単純な2体間の力のモデルについては、拡散そのものではなく金属の融点・熱膨張・弾性定数といった別の物性で、実測値とのずれが報告されている。この例では、原子同士が集団で及ぼす多体効果を加えて初めて実験値に近づいた4。この出典は、固体の拡散を担う空孔(原子の抜けた席)の形成エネルギーについても、2体ポテンシャルでは実験値より著しく高く出ると述べている4。同じ模型が拡散の速さそのものでどれだけずれるかは、本稿では測っていない。もう一つ、本稿のシミュレーションでは青と橙に同じレナード–ジョーンズ相互作用を与えており、種類による相性の違い(引き合いやすさ・大きさの違い)は入れていない。色は追跡のための目印で、混ざり方を決める物理は青も橙も同じだ。つまりここで見ているのは、同じ種類の原子どうしが入れ替わっていく動き、すなわち自己拡散(トレーサー拡散)である。現実の合金やドーピングでは相手との相性が効き、温度を上げても混ざらず、むしろ分離する組み合わせも存在する。加えて、実際に混ざって見えている条件は、1枚目の T=1.05 と、3温度比較の中温・高温である。これらの条件の系は、この密度と温度では固体ではなく液体的な状態にある。公開されている2次元レナード–ジョーンズ模型の相図に当てても、T = 1.0 では数密度 0.866 がまだ流体で、本稿の 0.83 はそれより低い5。焼結も熱処理もドーピングも固体の中で起きる現象なので、そこでの拡散の遅さを、この2枚の GIF がそのまま見せているわけではない。 結晶の中では、原子は隣の空孔へ跳び移ることで動く。原子どうしが直接場所を交換するという1940年代までの通説は、Kirkendall(カーケンドール)の実験(銅と真鍮の接合面に置いた目印が加熱中にずれる)で退けられた2。 シミュは便利な“試運転”だが、最後は実験で確かめる。この姿勢は、ここでも変わらない。
この注は、ページ上部の1枚目のGIF(単一温度の拡散)についての但し書き。実際に走らせた2次元分子動力学(256原子、色で2群に分けた同一粒子、レナード–ジョーンズ、Velocity-Verlet)の出力で、決定論的(固定シード)。温度は T ≈ 1.05 で保持した。この T はレナード–ジョーンズの簡約単位(無次元)で、ケルビンではない(MDではエネルギー・長さ・温度を粒子のスケールで測るのが慣例で、絶対温度に直しても物質ごとに換算が変わるだけで意味が増えない)。なお下の3温度比較の「中温」がちょうどこの T 1.05 にあたる。拡散がランダムウォークで「距離 ∝ √時間」に従うこと、温度依存が(温度の逆数に対して指数関数的な)アレニウス型であることは、統計力学・拡散論の標準的な知見。1枚目の混合の度合いは実測で、A原子が右半分へ到達した割合 ≈ 0.13(未混合0〜完全混合0.5、=完全混合を100%とすれば約26%)。下の3温度比較とは別ランなので数値は直接一致しないが、いずれも部分的な混合にとどまる点は共通で、拡散の遅さを正直に表す。
出典5件
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A. Einstein, “Über die von der molekularkinetischen Theorie der Wärme geforderte Bewegung von in ruhenden Flüssigkeiten suspendierten Teilchen,” Annalen der Physik 322, 549–560 (1905)。ブラウン運動の理論で、粒子の変位の二乗の平均が時間に比例することを示した。これが、距離が時間の平方根に比例するという拡散の基本法則の理論的起源である。なお Fick 方程式の数学的解(Stefan の 1879 年の誤差関数解など)は四半世紀先行しており、Mehrer & Stolwijk(“Heroes and Highlights in the History of Diffusion,” diffusion-fundamentals.org 11 (2009) 1, https://diffusion-fundamentals.org/journal/11/2009/1.pdf)が「最初」と評価するのは、速度ではなく変位の二乗平均を基本量と見抜いた点である。スモルコフスキーがほぼ同時期に独立の理論を発表している。 https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/andp.19053220806 ↩
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Helmut Mehrer, Diffusion in Solids: Fundamentals, Methods, Materials, Diffusion-Controlled Processes, Springer Series in Solid-State Sciences 155, Springer, 2007, 第8章 “Dependence of Diffusion on Temperature and Pressure”, pp. 127–149。固体中の拡散係数が D = D₀ exp(−Q/k_BT) というアレニウス型の温度依存を示すことを扱う標準的な教科書。同じ著者らのオープンアクセス概説(H. Mehrer & N. A. Stolwijk, “Heroes and Highlights in the History of Diffusion,” diffusion-fundamentals.org 11 (2009) 1, pp. 1–32, https://diffusion-fundamentals.org/journal/11/2009/1.pdf)は、金・銅・銀・亜鉛・鉄などの自己拡散の実測について「アレニウス則は1950年ごろまでに受け入れられた『自然法則』になった」と述べ、ニッケルの自己拡散では、アレニウスプロットが拡散係数にして9桁以上にわたる測定を覆っている例を挙げている。 https://doi.org/10.1007/978-3-540-71488-0_8 ↩ ↩2
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“Machine-Learning-Assisted Investigation of the Diffusion of Hydrogen in Brine by Performing Molecular Dynamics Simulation,” arXiv:2207.02966(Ind. Eng. Chem. Res. 62, 21385–21396 (2023), doi:10.1021/acs.iecr.3c01957 として掲載)。固体ではなく塩水(brine)に溶けた水素の拡散を、298〜648K・1〜218atmの分子動力学で調べた研究。定圧では拡散係数の温度依存がアレニウス的である一方、400K以上では圧力の影響が強くアレニウスモデルの精度が落ちると報告している。これは本稿が扱う固相拡散とは別の系での結果であり、固体中のアレニウス則を否定するものではない。 https://arxiv.org/abs/2207.02966 ↩
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S. G. Srinivasan & M. I. Baskes, “On the Lennard–Jones EAM potential,” Proc. R. Soc. Lond. A 460, 1649–1672 (2004), doi:10.1098/rspa.2003.1190(OSTI 811070)。単純な2体間のレナード–ジョーンズ模型だけでは、金属の融点・熱膨張・弾性定数・空孔形成エネルギーなどの実測値を十分に再現できず、原子が集団で及ぼす多体効果(embedded-atom法)を加えて初めて実験値に近づくと報告している。この報告は、本稿のシミュレーションが使う力のモデルにも同種の限界がありうることを示す。 https://www.osti.gov/biblio/811070 ↩ ↩2
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Y.-W. Li & M. Pica Ciamarra, “Phase behavior of Lennard-Jones particles in two dimensions,” Phys. Rev. E 102, 062101 (2020), doi:10.1103/PhysRevE.102.062101(arXiv:2010.03876)。切断距離 2.5σ の2次元レナード–ジョーンズ粒子の相図(本稿の模型は同じ切断距離でシフト無し)。T = 1.0 では数密度 0.866 が流体、0.884 が流体とヘキサティック相の共存、0.896 がヘキサティック相で、これらの転移密度は温度が下がるほど低くなる。液体–気体の臨界温度は 0.5 以下(同論文内で 0.42〜0.45 と ≃0.496 の2通りに記される)。本稿の数密度 0.83 は T = 1.05 と 2.3 で流体側、T = 0.3 は同論文が三重点より下とする T = 0.42 よりさらに低い。同論文は低温側では気体と固体が共存すると述べるが、その相図の温度範囲は 0.4〜0.8 で、T = 0.3 で数密度 0.83 が共存域か固体域かは示していない。 https://arxiv.org/abs/2010.03876 ↩
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