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凸包とは?材料の安定性がエネルギーの相対値で決まる仕組み
- 凸包
- 材料計算
- 熱力学
- DFT
- 密度汎関数理論
- Materials Project
- GNoME
- ICSD
- OQMD
- mp-api
- 安定性
- 生成エネルギー
- パレート最適
- パレート前線
- 準安定
- 化学ポテンシャル
- energy_above_hull
- 合成可能性
- 多形
- 交換相関汎関数
- 単位格子
- バンドギャップ
- 強相関系
- 基底状態
- 電子密度
- 混合物
- 速度論
- ImageNet
目次
新しい無機材料を計算機で探す研究では、候補の結晶が「安定」かどうかをまず判定する。結晶を計算機に教えるには、どの元素が、どんな箱(単位格子)の中の、どの位置にあるかを書けばよく、数百バイトのテキストに収まる。それでも、そのファイルだけを見て「この材料は安定か」に答えることはできない。安定かどうかは、同じ原子から作れる他の組み方と比べて初めて決まるからだ。比べる相手のエネルギーは、実験で全部測ったものではなく、ほとんどが密度汎関数理論(DFT)という近似計算で求めた値である。
本稿はシリーズ「凸包」の導入で、元素 A・B からなる仮想の化合物と、深層学習で、それまでの基準に照らして安定な結晶構造を220万個報告した GNoME、観測済みの無機結晶約3万件を調べた研究、計算データベース Materials Project を例に取る。
結晶の「安定」とは何に対して測る量で、AI が「新しい安定材料を見つけた」と言うとき、何を計算し、何をまだ確かめていないのか。
結晶の安定性はその物質単独では決まらず、同じ元素から作れる他のすべての組み方とその混合物に対する相対値であり、その基準面が凸包である。 AI が「安定な新材料」と言うとき計算しているのは、DFT で引いた凸包からの距離がほぼゼロ以下になる点で、新しい点が線を下へ越えると凸包が引き直される。ただし凸包は DFT の計算から引いた基準面で、結晶が実際に作れるかとは別の基準である。観測済みの無機結晶の約半数は凸包の上にあり、凸包の下にあることは作れることの必要条件ではない。エネルギーが低いことも、作れることの十分条件ではない。
AB は、同じ組成で負けていなくても混合物に負けて凸包から浮く
※ この節の数値は説明のための仮定で、測定値ではありません。
元素 A・B だけからなる系を考える。横軸に B の割合、縦軸に生成エネルギー(下ほど安定)を取り、純粋な A と B を 0 に置く。化合物は三つで、A₂B(B の割合 1/3)が −0.25、AB(1/2)が −0.15、AB₃(3/4)が −0.30 の高さにあるとする。
AB は、AB のまま残るか、A と B に分かれるか、A₂B と AB₃ の混合物に分かれるかのうち、エネルギーの低い側へ向かう。A₂B と AB₃ を混ぜて B の割合を 1/2 に合わせると、混合物のエネルギーは二点を結ぶ線の上の −0.27 になる。AB の −0.15 は、これより 0.12 高い。同じ組成 1/2 に AB より低い化合物は無いが、AB は混合物に負けて、下から包む線(凸包)から 0.12 だけ浮く。この 0.12 が、凸包からの距離である。
下の図では、化合物の点を上下にドラッグできる。浮いている AB(中央の、輪郭だけの○)を緑の線より下まで引くと、境界が引き直され、AB が線に乗る側に加わる。AB を −0.30 まで下げても、A₂B と AB₃ は新しい線の上に残る。逆に、線に乗っている A₂B や AB₃ を下げても線が一緒に下がるだけで、線に乗る顔ぶれは変わらない。
energy above hull。化合物の点をドラッグして、凸包が引き直される様子を確かめられる。AB の動きを並べると、安定について三つのことが言える。
- 安定かどうかは、その化合物のエネルギーだけでは決まらず、同じ元素から作れる他の化合物とその混合物との比較で決まる。
- 凸包からの距離は、その化合物のエネルギーから、同じ組成での凸包の高さを引いた値である。
- 線に乗る顔ぶれが変わるのは、点が線をまたいだときだけである。
安定性は「内在的な性質」ではなく「相対値」
直観に反するかもしれないが、ある原子の組み合わせが「安定」かどうかは、その物質単独では決まらない。同じ原子を使った、ありとあらゆる別の組み方すべてと比べて初めて決まる。
自然は「いちばんエネルギーの低い状態」へ向かう。だからある化合物が安定なのは、同じ元素から作れる他のどの組み合わせよりエネルギーが低い(少なくとも同じ)ときだけだ。
この「他のどの組み合わせにも負けない境界」を、各組成の生成エネルギーをプロットして下から包んだ線(高次元では面)として描いたものが凸包(convex hull) である。
ソフトウェアエンジニアなら、これはパレート最適とよく似た構造だと気づくはずだ。ある点が凸包に「乗っている」のは、それを支配する(より低エネルギーな)組み合わせが存在しないときだけ。ただし、ひとつだけ違いがある。パレート最適が比べるのは選択肢どうしだが、凸包が比べる相手には「他の相の混合物」が入る。同じ組成で見れば負けていない化合物も、組成の違う二つの相を混ぜたものに負けて、線から外れることがある。この混合を許したパレート最適は、材料の言葉でいえば、ある化学ポテンシャルのもとで最小になる相を指す。安定な相とは、そこに乗った点である。
コラム:パレート最適は「全指標で同時に上回る相手がいない」点の集まり 名前は聞くけれど中身はうろ覚え、という人が多い概念だ。複数の目標を同時に良くしたい状況を考えるとわかりやすい。たとえばノートPCを「安さ」と「軽さ」で選ぶとき、ある機種がパレート最適だとは、「それより安く、しかも軽い」機種が一つも存在しない、という意味だ。つまり安さと軽さの両方で上回る機種がない(=他の選択に「支配」されていない)点のこと。 こうした点をすべて集めた境界線をパレート前線と呼ぶ。前線の上に来ると、片方の指標を良くすればもう片方が必ず悪くなる。前線はトレードオフの、これ以上ない縁である。逆に前線より内側の機種は、「もっと安くて軽い」ものがあるので誰も選ばない。 材料の安定性も、ほぼ同じ形をしている。違いは、比べる相手に「混ぜたもの」が入る一点だけだ。ここでの「指標」は各組成のエネルギーで、ある相が安定なのは「同じ元素から作れる他のどの組み合わせにも、エネルギーで負けていない」とき。だから安定な相は、混ぜたものも比べる相手に入れたパレート前線、つまり凸包の上に乗る。名前だけ有名なこの概念は、比べる相手を一つ広げると「安定とは何か」を言い当てる。
このシリーズが必要とする方程式は、実質これ一本だけだ:
hull からの距離 = E(その結晶) − E(凸包)
安定性とは、ある基準面に対する引き算である。それ以上のものではない。距離がゼロなら凸包上=安定。正なら凸包より上=準安定または不安定(熱力学的には分解する向きにある。ただし準安定相は、速度論的にそのまま留まりうる)。AIが「安定な新材料」と言うとき、計算しているのはこの引き算が(ほぼ)ゼロ以下になる点を探すことだ。
ここで引っかかりやすい点を一つ補っておく。「凸包より下」に点があるのは矛盾に見えるかもしれない。凸包はいま手元にある材料から引いた下側の境界線なのだから、定義上その下には何もないはずだ。鍵は「いま手元にある」の部分だ。凸包は既知の材料だけから描かれる。まだ誰も作っていない新しい候補組成は、その集合に入っていないので、現在の線より下に落ちることがありうる。そして候補点が現在の凸包より下に来ること自体が、「新しい安定材料を発見した」の正体だ。線が引き下げられ、その点を含む形に凸包が描き直される。だから静止画の中では全ての点が線上か線より上にあるが、“発見”とは、いまの線が見落としていた点を見つけて境界を更新する動的な行為である。
その「基準面」を与える DFT という近似
ここで肝心の問いが立ち上がる。引き算の相手である E(凸包)、つまり各組成のエネルギーは、誰がどう測ったのだろう。
実験室で全部測った、のではない。ほとんどは計算で求める。使う道具が 密度汎関数理論(DFT, Density Functional Theory) だ。DFT は、多体電子系の基底状態を電子密度の汎関数として扱う理論で、原理そのものは近似ではない(Hohenberg–Kohn 1964)。近似が入るのは、それを実際に解ける形へ落とすときだ。交換相関汎関数を近似して、多体問題を解ける一体方程式に置き換える1。この形が、いまの材料計算の主力である。多くの物性をそこそこの精度で出せる。
しかし、DFT 自体がシミュレーション(近似)であって、現実の測定ではない。バンドギャップや強相関系など、DFT が系統的に外す領域も知られている。Materials Project 自身、計算バンドギャップに警告表示を出し、単一の近似だけで計算すると相関した d/f 電子を含む系などで反応エネルギーが不正確になりうることも明記している。そのうえで、材料の種類ごとに手法を分け、報告された実験データも使って補正すると述べている2。つまり「凸包より下にある」は「DFT が計算した基準面より下にある」という意味であって、「ビーカーの中で本当に結晶化する」とイコールではない。
だから見出しの構造はこうなる:
「220万個の新材料!」という数字は、その下にある基準エネルギー(凸包)と、現実で本当に作れるかという問いとセットでしか意味を持たない。
この「220万」は空想ではない。DeepMind の GNoME が、それまでの基準(Materials Project)に照らしてすでに凸包より下だと判定した構造の数だ。そこからさらに絞られる。新しく見つかったものどうしも安定を競うので、引き直した後の凸包の上に残った新規材料は約38万にとどまる3。絞り込みは「予測総数→安定に近いもの」ではなく、「旧い線で安定→線を引き直しても安定」の向きに進む。線を引き直すとは、既存の顔ぶれが外れることでもある。実際 GNoME は、Materials Project と OQMD に「安定」として載っていた材料を5,000件以上、凸包から弾き落としている3。原典自身、同じことが今度は GNoME の38万に起きうると断っている。だがその38万すら、DFT で引いた凸包に対して安定というだけで、ビーカーの中で本当に結晶化する保証ではない。原典が発表時点で「独立に実験実現された」と報告しているのは、GNoME が見つけた構造のうち、実験の記録(ICSD)と一致した736件で、凸包に乗らない準安定な構造も含む3。ほかが作れないという意味ではなく、確かめられているのがまだその範囲だということだ。
逆向きの事実がそれを裏づける。人類が実際に観測してきた無機結晶(実験室での合成と、自然界での産出の両方を含む)のうち、DFT で妥当に扱える約3万件(2万9902件)を調べると、約半数(50.5±4%)は凸包の上に乗っていない4。ただしその大半は線のすぐ上に密集している。凸包からの距離は中央値 15±0.5 meV/atom、90パーセンタイルでも 67±2 meV/atom にとどまる4。つまり凸包の下にあることは、作れることの必要条件ではない。
逆側も同じ論文が調べている。エネルギーの十分低い仮想多形は、よく調べられた二元酸化物で数多く予測できるのに、現実には観測されていない。著者らはこれを「まだ作られていない」より「作れない」ほうがありそうだと読み、低い準安定エネルギーは合成可能性の十分条件ではないと結論している4。低エネルギーであることも、作れることの十分条件ではない。
見出しは、この二段の基準(DFT の凸包/現実の合成)を踏まえて初めて読める。本シリーズは、その基準面そのものを問い直す。ここはその材料版の導入である。
触ってみる:材料版の ImageNet
抽象論で終わらせないために、実物を挙げる。Materials Project(2011年10月に MIT と Lawrence Berkeley 国立研究所の共同で発足)は、DFT で計算した無機化合物の物性を、対話的な探索と一括取得の両方の経路で公開しているデータベースだ2。機械学習における ImageNet に当たる、この分野の共通基盤と言える。
エンジニアなら、5行ほどで実物に触れる(pip install mp-api):
from mp_api.client import MPRester
with MPRester("YOUR_API_KEY") as mpr:
# ある組成のエントリを取得し、hull からの距離を見る
docs = mpr.materials.summary.search(
formula="Fe2O3", fields=["material_id", "energy_above_hull"])
for d in docs:
print(d.material_id, d.energy_above_hull) # 0 なら凸包上=安定
energy_above_hull がゼロの多形は安定相、正のものはその値が大きいほど不安定になる2。同じ組成でも、凸包に乗っているかどうかで運命が分かれる。数式の hull からの距離 が、そのままAPIのフィールド名になっている。安定性が「基準面に対する引き算」だという話が、コードでそのまま確認できるわけだ。「AIが材料を発見した」という見出しは、煎じ詰めれば「あるモデルが、DFT で計算した凸包より下に点を予測した」という主張であり、基準面を前提にして初めて意味を持つ。
出典4件
-
Kohn, W.; Sham, L. J.「Self-Consistent Equations Including Exchange and Correlation Effects」Physical Review 140, A1133, 1965. https://doi.org/10.1103/PhysRev.140.A1133 — Hohenberg–Kohn 理論の上に、一体方程式の近似法を作った。 ↩
-
Jain, A. ほか「Commentary: The Materials Project: A materials genome approach to accelerating materials innovation」APL Materials 1, 2013. https://doi.org/10.1063/1.4812323 — energy above hull と計算の限界。 ↩ ↩2 ↩3
-
Merchant, A. ほか「Scaling deep learning for materials discovery」Nature 624, 80–85, 2023. https://www.nature.com/articles/s41586-023-06735-9 https://static-content.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-023-06735-9/MediaObjects/41586_2023_6735_MOESM1_ESM.pdf — 旧基準で安定な構造220万、引き直した凸包に残る新規38万1000、ICSD と一致した736件を報告。補足資料は一致に準安定構造を含むとする。 ↩ ↩2 ↩3
-
Sun, W. ほか「The Thermodynamic Scale of Inorganic Crystalline Metastability」Science Advances 2, e1600225, 2016. https://doi.org/10.1126/sciadv.1600225 — 観測済み2万9902件の50.5±4%が凸包の上にあり、低い準安定エネルギーは合成の十分条件でない。 ↩ ↩2 ↩3
この記事はAIが執筆しています。内容には誤りが含まれる可能性があります。ご注意ください。